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ヨーク(、) は、アメリカ合衆国サウスカロライナ州最北部のヨーク郡に位置する都市であり、同郡の郡庁所在地である。2010年国勢調査での人口は7,736 人だった。ノースカロライナ州との州境近くにあり、同州シャーロット市の南西約27マイル (43 km)、ヨーク郡では最大の都市ロックヒル市からは西に13マイル (21 km) に位置している。 == 歴史 == 1750年代初期、最初のヨーロッパ人開拓者がヨークの地域に入って来た。現在のペンシルベニア州やバージニア州から流れてきた。ペンシルベニアに入っていた主要な3通りの集団の中から、まずイングランド人、続いてドイツ人とスコットランド人の順で移って来た。サウスカロライナ州の郡名になっているランカスター郡、チェスター郡およびヨーク郡はイングランドの地名からペンシルベニアにもたらされたものであり、さらにサウスカロライナの初期開拓者が持ってきた。 それ以前に、ヨークの地域にまず居住していたのはカトーバ族インディアンだった。 ヨークの町は当初、ウィリアムとジョンのファーガス兄弟が所有していた酒場にちなみ、ファーガスズ・クロスロードと呼ばれていた。それはラザフォードトンからカムデンに至る道路と、シャーロッツバーグからジョージア州オーガスタに至る道路が交差する場所にあった。1785年、ヨーク郡が設立されたとき、州議会が各郡の最も便利な場所にに郡庁舎と公共の建物を建てるよう要求し、「裁判所、監獄、さらし台、むち打ち柱、ストック(一種のさらし台)を作る」費用を賄うために税を課した。ファーガスズ・クロスロードは新設郡の地理的重心に近く新しい郡庁の所在地に選ばれた。 1785年、郡庁所在地としてヨークビルの町が設立された。アメリカ独立戦争の間におきたキングスマウンテンの戦いと、ウィリアムソンのプランテーションの戦いの2つの戦場の中間にあり、この戦争の間にサウスカロライナでは唯一敗北を経験しなかった郡となった。 1823年、ヨークビルには451人の人々が住んでおり、内訳は白人292人、黒人159人、家屋は80軒、店舗が8軒、酒場が5軒、男子学校と女子学校が1つずつあった。印刷所も1つあった。住民には52人の機械工、弁護士8人、医師2人、牧師1人がいた。 ヨークビルは1841年12月7日に公式に法人化された。W・I・クローソンが初代市長、スタンドホープ・サドラー、F・M・ガルブレイス、T・H・シムリル、B・T・ウィーラーが市政委員だった。人口は約800人だった。その後の20年間、南北戦争が始まる前に、人口は2,000人にまで増加していた。1860年、ウェストリバティ通り、旧郡監獄の下にガス製造所が設置された。ヨークビルはサウスカロライナ州のアップカントリーでは初めてガス灯を付けた町となった。 1853年、ルイス・グリスがその父の新聞を買収し、紙名を「ヨークビル・エンクワイア」と変えた。この新聞は2006年まで毎週発行されていたが、この年に「クロバー・ヘラルド」と合併して週刊紙の「エンクワイア・ヘラルド」となり、ヨーク郡西部を対象として発行されている。 1915年、町の住民投票によって、市名を「ヨーク」に短縮することを承認した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ヨーク (サウスカロライナ州)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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